船越鉈切神社に参拝しました 鉈切洞窟遺跡
ALOHA!
今日も、みなさんが笑顔になれますように。
前回からの続きです。
船越鉈切神社は、とても不思議なところです。
そして、強く興味をもった神社です。
今回の館山旅行でお世話になった宿に向かうときに、交差点で鉈切洞穴と言う看板が目に入りました。
洞窟があるんだと思って、なんとなくとても気になりました。
宿に戻って調べてみました。
鉈切洞穴は、縄文海進の時に地盤が浸食されてつくられた海食洞穴だそうです。
鉈切洞窟遺跡と言う遺跡でもあるそうです。
そして、鉈切洞穴には、船越鉈切神社の本殿があります。
千葉県教育委員会の資料によると、館山湾周辺にはいくつかあり、そのうちの一つだそうです。
館山湾に面した洲崎半島中央部の標高25mの海岸段丘にあり、洞穴開口部では高さ4.19m、幅5.85mをそれぞれ最大とし、開口部から最奥部まで36.8mだそうです。
鉈切洞穴は、昭和31年の発掘調査によると、縄文時代後期初頭(約4,000年前)を中心とした土器や、動物や魚の骨、鹿の角や動物の骨で作られた漁の道具が多数出土したそうです。
魚の種類もマダイやマグロなど魚骨47種、アワビやサザエなどの貝類68種、漁具は釣針や刺突具、網の錘などがあったそうです。
イルカの骨も大量に出土していて、骨ささったに黒曜石製の銛先もみつかっているため、イルカ漁が行われていたと思われているそうです。
海洋資源は豊富な恵まれた土地で、効率的な漁が行われていたと思います。
この地に住んだ縄文人は、かなり文化的にも進んでいたのではないでしょうか。
多種多様な魚を捕るための知恵や工夫があったのだと思います。
もしかすると、元々の海洋民族としての、受け継がれてきた情報や知恵があったのかもしれません。
鉈切洞穴は、古墳時代には一部が墓として利用されたそうです。
その後、丸木舟を社宝とした海神を祀る神社として地元漁民の信仰対象となって今に続いています。
丸木舟は、クスノキ製で、全長約2.19m、幅約70㎝の大きさです。
この丸木舟は、江戸時代に、徳川光圀(水戸黄門様です)が編纂を開始した『大日本史』に、洞窟の奥に伝世したものと考えられる由来不明の10数艘の舟が置かれていたとの記録があるそうです。
そのうちの一艘が伝えられたのであろうと考えられています。
とても、興味深い場所です。
いつも不思議に思うことがあります。
神社が嫌うことに、穢があります。
例えば、身内の方や親族が亡くなった時、喪中のときは、神社への参拝が出来ません。
墓所は、死者を弔う場所で、死と結びついています。
ですが、古墳に神社があるところも多いです。
神仏習合の時代には、お寺と神社の区別も曖昧だったこともあります。
対象者への思いや、対象者の違いが、葬ることと祀ることを分けているのかもしれません。
続きは次回です。
mahalo
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